プロの技術を教える

 多くのアマチュアテニスプレーヤにとってあこがれの対象は決してスクールのコーチではなく、プロ選手だ。我々は別にコーチそっくりのプレーなどしたくはない。しかし、プロは異なる。多くのプレーヤがフェデラーのプレーやナダルのプレーに憧れた事があるはずだ。
 もし、優れた経営者ならここにビジネスのチャンスを見いだすだろう。すなわち、もし、プロの技術を教えることができるならそれは大きな収益源になるという事だ。例えば、ナダルのエッグボールを教えたり、ジョコビッチの柔軟なダブルハンドを教えたり、フェデラーの華麗なシングルハンドを教えることができれば、そのスクールは他社に対し大きなアドバンテージを得る。
 しかし、残念ながらこうした経営努力をしているスクールを見たことが無い。コーチは文部科学省の推奨するコーチングそのままであり、それは100年前の理論だ。プロの真似をさせたくても、コーチ自身が全くその能力が無い。他人に教えられるレベルではないのだ。
 せめて、プロの真似でなくても、例えば、スピンサーブを打つにはどうすれば良いのか?とか、トップスピンを打つにはどうすれば良いのか?といった程度の質問に答えられるべきである。しかし、コーチはこうした技術は持っていても自分は練習している内に自然にできるようになっただけであり、そのプロセスは全く理解していない。従って、初心者に教えられることは何も無いのだ。できる事はせいぜい、フォームのおかしな点を指摘できる程度である。
 残念ながらスクールは教育機関としては全く機能していない。一部のスポーツマンが学生の頃からの技術で練習しているか、非常にまれに自分で自分をコーチできるものが上達するだけなのである。その結果、大半のプレーヤは初心者のまま辞める。残っている者は初めから上手かった者であり、スクールで上達したのではないのだ。
 こうした低レベルなサービスはあらゆるサービス業で一般的だ。例えば、よく「おもてなし」などとマスコミがほざいているが、日本の旅館のサービスはここ30年ぐらい全く進歩していない。どこへ行っても浴衣を着せられて風呂に入って飯を食って終わりである。京都へ行こうと長崎に行こうと北海道に行こうと同じだ。だから皆、海外へ旅行に行く。国内など修学旅行で行けば十分なのだ。
 我々は決して優秀な民族ではない。その実態は平安時代から全く進歩していない。家電製品が進歩したからといって、我々自身が変わった訳ではない。思い上がればとんでもない被害を被る事になる。「勝って兜の緒を締めよ」とか「おごる平家は久しからず」といった言葉は全く正しいことわざなのだ。

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